廃業ストーリー

3度の経営危機から立ち直った不屈の経営者 廃業に真摯に向き合う事で新たな道を切り開く

廃業ストーリー

経営上の困難な事態に陥っても、不屈の起業家精神で事業に取り組んでいく”リスタートアントレプレナー”を廃業ストーリーでは取り上げていきます。今回は1回の破産を含めて、3回も大きな経営危機に陥りながらも、自身の会社を21期に渡って経営している小林広治さんにお話をお聞きします

インタビュー 廃業支援センター編集長

———小林さんは商売の経験が長いとのことですが、どんな事をされていましたか?

屋外ビジョンの運営及び代理販売業務になります。
当時、ビルの壁面に大型ビジョンが全国に130か所ほどあると言われていました。一番最初に屋外ビジョンを始めた会社が、渋谷の大盛堂書店の上にあるマイティービジョン(現在はDHCビジョン)になります。縁があってそのビジョンの運営会社を当社の親会社を経由して買収してもらったのが2008年になります。
その後、その会社の経営に参画し元々の自分の会社であったキズナキャストと大型ビジョンを運営する会社の2社の経営をする事になりました。

———小林さんの会社には親会社があったのですね?

はい。デジタルサイネージ事業を始める為に出資をしてもらいました。キズナキャストは池袋の改札前で展開するデジタルサイネージ事業を主力事業にしていました。ただ、その事業が立ち上がったばかりでブレイクスルーしにくいという事で、屋外ビジョンの会社を買収してもらったという経緯があります。

———業績は順調だったのですか?

結論的に言うと、買収企業の企業評価が想定していたものではありませんでした。実際の企業価値よりも高掴みで買収した事になってしまいました。実情は赤字運営でした。最後の経営者として、1年半かけて会社を畳んでいくことになりました。

———大型ビジョンの会社は結果としてどうなったんでしょうか?

赤字だったので、本体から資金注入しないといけない状況でした。2008年の6月の時点で、親会社が新規事業からは撤退するという意思決定がなされました。そこで、6月末で資金ショートが確定していました。6月上旬に弁護士から受任通知を取引先に出すことになりました。
当時、大型ビジョン運営会社の代表をしていた方はサラリーマンだったので、このタイミングで彼に代わり私が結果的に最後の社長になりました。

———その後どうなったんでしょうか?

破産の手続きを進めながら、取引先への説明に回りました。それと同時に、なんとか破産しなくて良いように、買収してもらえる相手も必死に探し、M&Aの方向性で半年ほど活動をしていました。しかし、候補はいくつか見つかったのですが、結果的に間に合わず、買収先を見つける事は出来ませんでした。

———破産の時の小林さんの動きはどんなものだったでしょうか?

その時の動きとしては、ともかく支払い先に一社一社出向いて、状況を説明して頭を下げてというものでした。

———債権者行脚をした訳ですね。その時はどんな気持ちでしたか?

金額が大きなところはもちろんですが、一番心苦しかったのは、破産直前の4月に工事をしてもらった小さな会社のおじいさんのところですね。「これ払わなかったら、死んじゃうんじゃないか」と思ってしまって。
債権者として区別してはいけないんでしょうが、小さい会社に対しての方が、申し訳ないという気持ちを強く感じていました。

———管財人の先生はどんな方でしたか?

先生は淡々とした方でしたね。債権者に頭を下げにいく必要はない、そんな人は聞いたことがない、と言われました。私は、そう言われると、逆に余計やらなくてはと思って、頭を下げて回りました。

———手続きにはどれくらい時間がかかったのでしょうか?

6月に受任通知を出して、年末に破産の申請を出しました。債権者集会を何回かやって、1年半近くかかりました。
ビジョンを撤去しなくてはという議論があり、「誰が撤去するのか」という事になり、すごく時間がかかりました。

———弁護士の費用は誰が払ったのでしょうか?

親会社が払う形になりました。

———1年半の手続きの中で何が一番印象的だったでしょうか?

正直な事を言うと、ひどいことも言われましたが、意外と凹んでいない自分がいました。淡々と頭を下げていくしかないので。人によってはすごくしんどいことだと思うのですが、、、もっと酷い事を言われるのかとは思いました。

真摯に対応をすれば、債権者とも人間関係が作れることを確信

———債権者集会はどんな感じでしたか?

怒号が響くようなこともなく、債権者集会はおとなしいものでしたね。誰も期待していないですし。
ちゃんと対応したこともあり、手続きが終わった後も債権者である業者さんと取引もしました。ちゃんとやるべき事をやれば人間関係は出来るんだ、と思いました。やるべきことだと思ったことを、ただ淡々とやっていただけなので、あまり苦しさとかは正直感じませんでした。

ケツをまくる人間にはなりたくない!その思いが自分を奮いたたせる

———やるべきことをやれば人間関係も続くし、取引も続くということですね。

苦しいから、しんどいから、という理由で、言い訳したり、人のせいにしたり、目の前のことから逃げ出したり、ということだけは絶対にしないということだけは決めていました。IT事業をやっている時に感じていたことなのですが、ケツをまくられることが一番いやだったからです。ケツをまくった人を見て「こういう人にはなりたくない」という思いがありました。だからこそ、手続きの最中も、力が入りました。

———破産の手続きもひとつの仕事としてとらえて、やり切れたという事ですね。

はい、そうですね。そういう意味でいうと、元々自分のために買収してもらった会社でもあったので、出資者へ少しでも恩返しできればという想いが発端でもあったので、1つの仕事としてちゃんとやり切ろうと考えていました。

———破産の手続きが終わった後はどうされましたか?

自分の会社であるキズナキャストの仕事に戻りました。
キズナキャストの事業もかなり大変な状況でした。池袋のデジタルサイネージは既に撤去をしていました。メディアとして運営していたのは半年くらいになります。売上も立たないので、人も事業も大型ビジョン運営会社に移していたんですね。
結局、会社に自分ひとりとなって、正にゼロスタートでした。

1人ぼっちでゼロスタート 破産で生まれた縁が新たな仕事につながる

———ゼロになって何を始めたのですか?

昔のつてをあたって、なんでもやります!と回っていたら、営業支援案件で月額固定でもらえる仕事が1件見つかりました。
また、ビジョンの仕事で縁が出来た人たちと仕事をすることになり、屋外ビジョンの広告枠を売らせてもらえることになりました。結果的に屋外ビジョンの運営権を手に入れることもできました。
そういう意味では、破産の手続きでできた縁で食いつないだ形になります。

営業を徹底的に学び、一人で一億の売上を上げる

———個人で何でも取り組んだ時期はどれくらい続いたのでしょうか?

その時、5年で営業を学ぼうと思いました。
なぜ会社がうまくいかなかったを考えた時に、「営業ができていなかった」という反省がありました。営業を学ぼうと思って、徹底的に取り組みました。実際に5年で復活することができました。
2013年に一人で1億ほどの売上を作ることができました。

復活を遂げるもビジネスパートナーに騙され1億の損失を生む

———その後はどうされていたのでしょうか?

2014年9月に、その年から付き合い始めたコンサル先に騙されてしまいました。1億近くの損失を被る事になりました。
その会社は外国人を使った引越業をやっていました。当時、そうした事業をしている会社は数社しかなく、その中でも一番大きな規模をもっていました。仕事はあるが、お金がないという状態が続いている会社だったので、プロジェクトファイナンス型にして資金を提供して仕事をさせてもらいました。
私としては、継続したくなかったのですが、その会社の社長から、大きな案件が入ってきたと2014年の春ごろから伝えられていました。順調な本業に集中すべきと言っていたのに、7月頃に「契約をしてきました」という報告がありました。なんとか1億5千万ほど集めたいという話でした。当社も資金を提供して、家族や知人にお願いをして最終的に7千万ほどを集める事になりました。
その償還日が8月だったのですが、還ってきませんでした。「なぜだ!」と問いただすと、「現場で人が亡くなったので、賠償金を払わないといけない」ということでした。「それとこれは別だろう」ということで、結果的に契約した会社に行くことになりました。そこで総務の方に調べてもらいました。契約書に捺印されていたハンコが「この代表印はウチのものではない」とのことでした。そこではっきりと詐欺であることが分かりました。

3度目の失敗に対峙した際、冷静に対応できる自分を感じる

———その事件はどう決着したのでしょうか?

実は、私は大型ビジョン運営会社の破産の前にも、事業に失敗しているんですね。私としてその経験が原点になっています。
私の中では、これが3回目の大きな失敗にあたります。ただ、今までの経験から、やり方とか生き方とか、自分の中で完成したものがあって、この時も妙に冷静な自分がいました。心がしーんと静まりかえっている感じでした。逆に、頭がぐるぐる回って「あれをやらなければ、これをやらなければ」とぱっぱっぱと浮かんできました。その後は、頭に浮かんだことを淡々とやっていった形です。
彼は本業の引越では稼げると思ったので、「仕事で返してくれ」ということになりました。それで1千万ほどは返ってきました。

———結局、その人はどうなってしまったのでしょうか?

当社は訴えなかったのですが、同じく取引をしていた会社は裁判を起こして、最終的には有罪判決となりました。去年、亡くなったらしいです。

———その後はどうされたのでしょうか?

家族や友人にもお金を出してもらって迷惑をかけてしまったので、この時を境にお酒を断つ事にしました。そして仕事でお金を返していく事を心に決めました。

———2014年の事件で事業には変化があったのでしょうか?

「潰れてしまうのか」「どうしようか」という思いのなか、新聞配達でもしようかなとも考えました。ただ、雇われて入ってくるお金は、雇われた分にしかならないと改めて気づきました。自分で稼いだ方が割りが良いだろうという結論になりました。
2014年の12月30日にお風呂に入っている時に、ふと「教育って前から関心があるな、もう少し年齢がいったら取り組んでみたいな」と思っていたことに気づきました。その時に「今やれば」という声が聞こえたように思い、その瞬間に「60歳でやるんだったら、今始めたら15年経験できるなぁ」と思ったんですね。そこから共育事業を立ち上げる事にしました。それが今に続く共育事業になります。

———今取り組んでいる共育事業はどんな事業なのでしょうか?

大きく分けると2つあります。BtoBとBtoCになります。BtoBは企業研修、BtoCはセミナーや起業家育成の事業になります。

———この事業のミッションはどんなものになりますか?

ミッションは「人と組織と社会のキズナをRe:Design」になります。人を変化させる、組織を変化させると考えた時に、そもそも自分自身との絆が繋がっていない人が多いと考えています。

———自分との絆とはどんなものでしょうか?

本当の意味で自分がやりたい事をやれていない人が多いです。本当の自分を知らないし、考えた事もない。それを繋いであげる、自立支援になります。
実は当社のミッションのサブタイトルが「自立・共創戦略で、会社と社会に革命を」になります。この自立・共創社会になるというのが、ずっと私が語ってきたことです。自立が始まらないと真の共創が生まれないと考えています。自分とは何かという問いかけが本質的なテーマです。

———壮大なミッションですが、現在の事業の進み具合はどうでしょうか?

想像していた以上に立ち上がりが悪いです。2014年に思って、5年半経ってまだ終わっていません。まだ道半ばです。

———何か兆しのようなものはありますか?

ちょっとここに来て兆しが見えてきたこともあります。受けられる会社の数も限定されていますので、法人向けの事業でブレイクスルーは難しいと考えています。BtoCの方が核になってくると考えています。イベントやセミナーのノウハウもたまってきたので、今年から自社だけでなく他社のコンテンツも入れていく事を検討しています。今年の3/29のイベントもそうですが、他社とのコラボレーションも進めています。更にクラブハウスがうまく集客につながりそうな気がしています。

———今まで都合3度の失敗をしていることになりますが、そのたびにリスタートしている小林さんから、これから再チャレンジを考えている人にメッセージはありますでしょうか?

まず、私自身にも言い聞かせていることなのですが、今の世の中、何があっても食えない事はないということです。そして、殺される事もないということです。処刑される事もありません。
昔だったら失敗したら、打ち首、切腹という時代もありました。しかし、今はそんな事はありません。それはものすごい安心感になると思います。絶対になんとかなる。私の場合は最悪、ホームレスでもいいと思っています。

破産しても殺されない。食えない事もない

———食えない事がないというのには何か、条件はありますか?

最悪はホームレスのイメージがあります。むしろ、家族でホームレスとかしたら最高に楽しいだろうなと思っています。奥さんも子どもたちきっと付き合ってくれるハズです。というのは希望的観測ですが (笑)

———食えない事もない。殺される事がないという事実が大きいと。だからいつでも再スタートできるという事でしょうか?

いくらでも挑戦できるという感じですね。失敗を恐れる必要はないです。

絶対に人のせいにしない、そして諦めない。大きな失敗が自分を強くする

———何度もリスタートしている小林さんですが、再チャレンジのコツは何かありますでしょうか?

絶対にあきらめないという気持ちが第一ですね。あとは、何があっても人のせいにしないことですね。人のせいにした瞬間にそっちにエネルギーが流れてしまうと思います。失敗したのを全部自分で受け止めると、全部を成長に回せるんですね。
なぜ2014年の失敗の時に心静かになったかというと、その出来事を全身で受け止めているイメージがあるんですね。前回以上に大きな失敗だったので、これを全部受け止めて消化しきった時に自分はどれだけ成長してしまうんだろうとイメージできるんですね。それで、逆にすごいワクワクしました。失敗の大きさが大きければ大きいほどワクワクしちゃうんです。

———それは私もありますね。それはリスタートアントレプレナーの条件かもしれないですね。私も2回目の廃業の時に、何とも言えない熱い気持ちになった瞬間がありました。

失敗も3回目になると静かになります。赤い炎が青くなるイメージです。

———成長できるイメージが持てる、ということが大切なんですね。最後に借入はできていますでしょうか?

それが、できていません(笑)。日本政策金融公庫さん以外はまだできていません。公庫は2015年2月の詐欺事件後、一番苦しい時からサポートしていただき、また去年2020年4月にもコロナ融資で借入をさせていただきました。
現状は、保証協会が完全にブラックなので、プロパーの融資は受けられていません。公庫の存在はとてもありがたく、感謝しています。そのおかげで毎回、紙一重で乗り切っています。
銀行残高が1万円を切ったことも実は何度もあります。今回もまた、公庫のおかげで助けられました(笑)。

リスタートアントレプレナー

小林広治 株式会社キズナキャスト 代表取締役/戦略コンサルタント 人と組織の革新コンサルタント 一時は、事業に大失敗し、事務所に妻と二人で住み込み、銭湯に通うような日々も経験し、いまは人と組織の革新を目的に、シンの企業家育成と、シンの企業・組織づくりに尽力。そのベースとなるのは、自身の経験に加え、ドラッカーマネジメントなどの知見を取り入れ、独自開発した持続可能な経営フレームワーク「Sustainable Management Tree(R)」。上場企業で売上1.6倍、ドラッカー学会総会では参加者数前年比2.5倍など、営利・非営利問わず多くの実績を誇る。

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